ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

ボダが一番嫌がる状態「無関心」、そして無関心がもたらすもの

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。読まずに他のサイトへ移動してください。

さて、本題です。

私は境界性人格障害者からは逃げるべきであり、物理的に離れられないのであればしっかりと自分と相手の境界線を引いて拒否をするべきである、という記事を書き続けています。
ここには、境界性人格障害者、ボダへの慮りは存在しません。ゆえに、怒りという気持ちもない代わりに、赦すという感情もありません。私のボダに対する感情を敢えて言葉にするなら「どうでもいい」です。

今日は以上踏まえて、ひとつの話題について考えたいと思います。
もしも、それでもあえてボダに復讐をするとしたら、どうやったらいいのでしょうか。

これを考えるための足がかりとしては、ボダにとって嫌なことを考えていくべきです。と同時に、ボダにとって嫌なことは、ノーマルな判断基準とはズレがあることも考慮が必要です。

何度か書きましたが、ボダにとって最も嫌なことは、無関心です。
ポジティブでもネガティブでも問わず、あなたがボダに関心を持っているという状況は、ボダの心の底に大変な安心感を与えます。
ポジティブであれば、好きなだけ利用できますから安心です。あなたの寄せる好意的な感情を利用して、ボダはあなたを自分にさらに縛りつけようとするでしょう。
ネガティブであれば、好きなだけ利用できますから安心です。あなたが寄せる嫌悪感、怒りなどを利用して、ボダは被害者気分に好きなだけ浸り、周囲の関心を集めるために動き、あなたの立場を悪くすることによって、あなたの感情をさらに自分に縛りつけようとするでしょう。

つまり、普通の人なら嫌がるような行為、ウソの暴露や行為の露呈なども含めた被害者からのアクションは、ボダにとってはチャンスで、自分の埋まらない心の中の穴をしばし埋めるために都合がいいのです。

もちろん、ボダの虚構を壊して露呈させ、ボダの立場を悪い方向へ追い込んでいくことが間違いかのかと言われれば、別に間違ってはいません。
きちんと論理的にことを運び、周囲を納得してボダの言葉や行為の信用性が皆無になり、誰もボダのことを相手しなくなるか、誰もがボダにとって敵になるまで持っていくことができれば、それは間違いなくボダにとって大ダメージです。

ですが、これはなかなか難易度の高いことです。
なぜなら、あなた自身がボダと同じ土俵に立ち、ボダがそうしているように、あなたも他者を操作するような行為をしなくてはいけなくなるからです。

でも、一般的に復讐というと(犯罪以外の手段に限るのであれば)その実行シナリオは様々あれど、根本的には上記のようなことだと思います。

こんなのはさすがに無理ですか?
そうですよね。心身充実していても、なかなかそこまで徹底してやれる人は少ないと思います。冷徹に淡々と周到にやらないと、簡単に失敗してしまいます。

ところで、ボダはあなたがボダの望む反応をしないと暴れます。でも、望む反応をしなかった場合は、暴れることができます。
実のところ、ボダにとって反応が得られれば割とボダの目的は半分は達成されます。ボダにとって根本的に嫌なことは「反応がない」です。そう、縁を切りたい場合は「反応しない」が実は正解なのです。

ですから、反応をやめるために逃げるべきであり、拒否をするべきなのです。
そして、あなたがボダに関係のない、良い人生を歩む姿があれば、ボダは勝手に絶望してくれるのです。

このように、逃げる、拒否をする、総じて無関心になるということは、全く「ボダに対する赦し」にはつながらないのです。
ボダにとっては単に嫌なことでしかないのです。逃げられて拒否をされて無関心になられたとしても、赦されたなんてボダは考えません。

ボダは反応がない、自分を見てくれないことが異様に嫌なので、そのようなことをすると、強烈にアプローチをかけてきます。
それは、直接的にあなたを煽り立ててあなたから何かを引き出そうとするかもしれませんし、場合によっては周囲に騒ぎを起こして(たいていあなたが被害を受けるようなものです。)あなたから反応を引き出そうとします。

その時に、きっとあなたはボダを最大に憎むでしょう。
破滅させたい、いっそ死んで欲しいと思うかもしれませんね。

でも、ここで必ず徹底的に無視をしてください。
対処も徹底的に論理的に淡々としてください。あなたのための、踏ん張り時です。
全てにおいて、あなたに赦す必要なんて欠片もありません。あなたの拒絶を無視して入り込んできた輩には、あなたがなんの直裁もせずに、さらに強い拒絶をするのです。自分の持つものすべて、使えるものすべて投入してください。あなたのために、あなたはなんら躊躇してはいけません。

最終的に、どこまでいっても「ボダを赦す」に辿り着くことはないでしょう。「赦す気分にはならないけど、ボダのことはどうでもよくなる」に落ち着くはずです。
例えるなら、こんな感じでしょうか。
路傍に落ちていた少し大きな石につま先をぶつけた、凄く痛いですね。
でも腹立ちに任せて蹴ると足を痛めちゃうので蹴ったりはしません。
代わりに道路管理をしてる役所なりに電話してよけておくように依頼します。
その石があったことにはイラっとするけど、赦すも赦さないもないし、もうあなたの歩く道に落ちてなければやがてどうでもよくなりますよね。
つまり、その程度です。敢えて言葉にするなら、逃げたり拒否することによって発生する無関心がもたらすのは「赦し」ではなく、「赦す・赦さないが存在しない状態」なのです。あなたが、赦す・赦さないで悩む必要はありません。赦せるわけないんですし、赦さなくてよいのです。

被害者のみなさんが、少しでも早く被害から抜け出し、さらに少しでも早く自分の良い人生に歩み始められるように、祈ります。