ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

被害者がしてしまう、解決できない相談の理由

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。読まずに他のサイトへ移動してください。

ご相談のコメントが多くなってきました。ですので、今回は「相談」について触れたいと思います。
例によって個別のご相談やお申し出にはお応えする気は全くありませんし、できる立場にありません。ですが、ぼんやりとした形でも、ほんの少し回答になればと思っています。

では、本題です。

以前の記事に書きましたが、私がこのブログを書き始めたきっかけは、知人の相談でした。
相談とは言いますが、知人が私に話をした時には既に知人は「解決しない相談」をする状況になっていました。いわば、愚痴に近い状態です。

他者に責任を負わせようとしたり、被害者になりたがったり等ボダには特徴的な傾向があり、被害者は様々な影響を受けます。しかし実のところ、私が過去の経験や知人の話を聞いて一番感じたことは、何より「被害者は傍から見れば簡単に思える決断ができなくなり、結果、相談をしてもなんの進展もなく被害を受け続けてしまう」ということです。

極々単純な例をあげて、少し紐解いてみましょう。
あなたは自販機で温かい缶コーヒーを買いました。音を立てて出てきた缶を取り出したら、それは思いの外熱い状態でした。
きっとあなたは、手を火傷してしまうと思うでしょう。なるべく触らないように指先だけで持ったり、両手の間を頻繁に移動させたり、ポケットに入れたり、ハンカチや袖を使って手を保護しようとします。我慢して缶を開けて熱が逃げるのを待つかもしれませんね。どこかに一旦置くかもしれませんし、もしかしたら、熱すぎてつい手放し、落としてしまうかもしれません。

いずれにせよ、あなたは手を保護しようとします。それはとても単純な判断です。

ボダ被害を受け続けるというのは、まるでこの缶コーヒーを火傷しそうな熱さを我慢して持ち続けることに似ています。

缶コーヒーが熱そうで手を火傷しそうだ、と相談をされたら?周囲の人はコーヒーをとりあえず手放すか、手を保護すればいいと言うでしょう。

ところが、缶コーヒーを手放せない理由、もう少し正確に言えば手放せないと思い込んでいる理由が、被害者にはあるのです。

さて、被害者がどのように追い詰められ、缶コーヒーから手を保護できない理由を抱えてしまうか書いてみます。

缶コーヒーをどこかに置いてしまうのですか?そんなことをして、缶に土やゴミがついて万が一口に触れることになったらどうするんですか?あなたはそんなものを他人に飲ませようと考えるのですか?誠意がなく、思いやりもありませんね。冷徹です。人として大切なものが欠けています。
袖やハンカチで手を保護する?ポケットに放り込む?ありえません、不衛生です。その布切れは、確実に衛生的なんですか?袖口は、そしてハンカチは、ポケットの中は汚れていないとあなたは思うのですか?保証できますか?無責任に適当に考えていませんか?あなたみたいな無責任な行為をする人を、他の人たちはどう思うか考えたことありますか?自分のことが恥ずかしくなりませんか?
缶を開けたら?熱が逃げます。ぬるいコーヒーを飲ませる気ですか?あなたは自分の都合だけで、せっかく温かなコーヒーを冷まして台無しにしようとするのですか?酷く自己中心的な考えをするんですね。あなたみたいな人にはみんな近づこうと思わないでしょう。
缶コーヒーを落とした?やっぱりあなたには責任感がありません。自分さえよければ周りの人の迷惑なんて考えないんですね。万が一他の人の足に落ちたらどうしますか?あなたの勝手な都合で他人に迷惑かけるなんてありえないですよね?それとも、自分が良ければ他の人はどうでもいいんですか?身勝手過ぎます。あなたは他者とつきあう資格なんてありませんよね。

このように責めたてられ、さらには周囲にこんな感じで嘘を吹聴されます。
あなたは、すごく寒い日、屋外でボダに嫌がらせで冷たいコーヒーしか渡さなかった。ボダが温かい方が良いと言ったら、温かい缶コーヒーを買い直してくれたが、わざと足にぶつけるように投げつけられ、缶コーヒーは地面で凹んでぬかるみで泥まみれになっていた。

このようなことを繰り返され、被害者はとても単純な解決法…缶コーヒーはそもそも被害者のものであり、被害者が自由にしてよいものであるという前提の選択肢を選べなくなります。

しかし、相談で話せることは、缶コーヒーが熱いということだけなのです。
人は誰でも、自分の負の側面を隠そうとします。身勝手さも自己中心的な考え方も誠意のなさも、自分が悪いことであり、他人に晒したくないので、相談事にならないのです。そして本当はそんな屁理屈を押し付けてくるボダのことを話せばいいのですが、どう話していいのか、難しく感じることでしょう。ボダは、被害者の「人として至らない部分を指摘しているだけ」ですし、話せば必ず話したくない自分の負い目(に思えていること)も話さなくてはいけません。なにより、被害者に缶コーヒーを押し付けたりしているわけではありませんから、何を言われても缶コーヒーを手から放せばいいのは被害者だってわかっています。
結果、周囲は単純な解決法しか示せないですし、それでは解決できるわけがない。「解決しない相談」の誕生です。


さて、解決法です。

残念ながら、あなたは火傷をしないためには、缶コーヒーから何かしらの方法で手を守るか、手から離すしかありません。
あなたの手に缶コーヒーが縛り付けられていない以上、その判断も行動も、あなたにしかできませんし、他の人が手出しをできる余地はないのです。
その時に、あなたはやはりボダから非難されるでしょう。
場合によっては、缶コーヒーを手放すことで他の人からも不評を買うかもしれませんし、缶コーヒーを手放すことは、自分が大事にしてきた人間関係や環境を手放すに等しいことになるかもしれません。

ですが、火傷をしないためにはそうするしかないのです。
あなたはあなた自身を守るために、そうしなくてはいけないのです。それが、あなたがあなたを大切にするということであり、あなた以外にはできないことなのです。

その判断をするのは、あなたです。
他人に判断を委ねても絶対に解決しません。私が記事を書いて例え話や説得をどれほど並べ立てても、あなたが決断をしなければ、全く意味はないのです。
つまり、私や他人にできるのは精々この程度である、ということです。
これだけは、あなただけではなく、ボダにも、全ての人にとっても等しいことです。最後は自分で決めなくては進まない。

あなたの責任で起きた被害ではないのに、あなたに重い決断が発生する。
とても理不尽です。
ですが、どうかあなたのために決めてください。神経を擦り減らしてボダの機嫌を伺い続けるより、きっと随分とマシです。
あなたはあなたのために全力を出してください。あなたはあなたのために苦労をするべきです。ボダのために、他人のために人生を使い潰してはいけません。

被害を受けている方が、少しでも自分自身のために決断をできることを祈っています。