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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

パーソナリティ障害について私感

このブログは通常、境界性パーソナリティの特徴について私感を述べ、なおかつその被害に遭われている方、或いは遭われていた方に向けて書いているものです。

今回は、そもそもパーソナリティ障害というものをどのように捉えたらよいのか、全くの専門家ではない私の私感を書いてみようと思います。

大前提として、境界性に限らず、パーソナリティ障害は専門家でも診断に時間がかかり、また対応の難しい病気です。
「この人ボダっぽい」とあなたや私がいくら思っても、専門家の診断なくしてそれが確定することは絶対にありえません。
そして、私のスタンスは、相手がボダかどうかを判断することには関心がなく、あなたが被害に感じていて苦痛であるかどうかをあなたの判断基準、或いは行動基準としてよいというものです。

では、本題です。

パーソナリティ障害は、境界性だけではありません。
自己愛、反社会性、演技性、妄想性、回避性…その他にも多々あります。
私の私感では、これらは大まかに特徴的な傾向で分類されますが、完全に分けることは不可能であると思っています。
そもそも、パーソナリティ障害は主として治療上の色々な意味での都合により、区分されているものではないでしょうか。

例えば境界性パーソナリティ障害の特徴的な行動のひとつに、「自己の評価を高くみせるために権威ある他者との繋がりを主張する」というのがありますが、これは自己愛性でも見られるものです。
憐憫や庇護欲を煽るために嘘をついている様子は演技性にも思えますし、倫理観を越えた行動は反社会性にも思えます。
(これは境界性パーソナリティ障害が特別なのではありません。「境界性」が、「境目にあるから境界という名前である」というわけではないようです。)

当たり前ですが、人は様々な気質を併せ持ちます。対する人との関係によって、社会での立ち位置によって、或いはその時の自分の気分によって、誰もが色々と振る舞いや考えを変えます。
嫌いな人には攻撃的に接するかもしれませんし、怖い人には低姿勢で接するかもしれません。しかしながら、全体的に、または自分から見えている部分をもとにして、人は他者を「社交的」「温和な人」「協調性のない人」などと区分しています。ですが、温和な人でも怒る一面はあるでしょうし、社交的であっても付き合いを断る相手もいるでしょう。つまり、それがその人の全てではないということです。

このことは、パーソナリティ障害の診断においても恐らく同じで、境界性パーソナリティ障害と診断された人は境界性の特徴が強く出ているということに過ぎず、例えば反社会性の要素を含まない、例えば演技性ではない、ということは意味していないのだと思います。
むしろ、冒頭で書いたように、パーソナリティ障害はお互いにお互いの要素を併せ持ち、私感では「連続した状態」であると考えています。
その中で、特に強く出ている要素が認められれば、治療上の方針などを立てるために診断がなされる、そういうイメージです。同時に、それは奇異なことではなく、人は多面的な要素がある、それは場面や立ち位置や関係性、そして時間によって変化し続けるということを示しているに過ぎないのだと思います。

これが私の私感です。

まとめると、パーソナリティ障害は、人ならば誰もが多面性を持っていることが前提で、しかしながら、ある特徴的な性質或いは気質と呼ばれるものが、本人の社会生活に支障をきたす状態であり、診断はその治療のために行われる。そして、実際には、様々な要因で刻々と症状も変化をしていくものであろう、という考えです。

ですが、ここまで書いておいてなんですが、私はそこには(このブログにおいても、かつ私生活においても)関心があまりありません。

パーソナリティ障害者の変化の有無に関わらず、「あなたは、他者から他者のためだけに自分の時間を浪費することを強いられ、結果的にあなたの心や人生、生活が壊されている」ことは、安定して大問題なのです。
あなたのみならず誰もが自己を守る権利があります。義務でもあります。あなたが誰かの人生の全ての罪を負ったりする必要はなく、相手がいかなるものであれ、あなたはあなたがよりよく生きるためにこそ、もっとも注力をするべきなのです。
お互いがその努力をして、その上で融通をしあうことで社会は成り立ちます。

それができず、全て他者の責任であり、自己利益のためだけに他者を欺き、蔑ろにする人に付き合い続ける必要はない。
どんな人でも、最後は必ず自分で自分の全てを受け止め、心の中で折り合いをつけるしかないんです。逆に言えば、あなたがどれほど近しい相手であったとしても、あなたがどれほど強く望んだとしても、他者の心の隅々まで平穏にしてあげることは不可能なのです。

最後に。

やはりくどい繰り返しになりますが、相手が何者で、実際に診断がなんなのか、それは本質的には問題ではありません。今後、それが変化するのか、何が起こるのかも、病気だからではなく一般論として人生の先を見通せないのと同様に、見通すことは難しい。
それよりも、あなたの感じているものが大事で、あなたがする判断が重要です。あなたが不愉快であり、譲れない部分であれば、それは譲ってはいけません。あなたにもし罪があるのだとすれば、それは自己を蔑ろにする行為です。

このような記事を書いたのは、いくつか理由がありますが、やはり「このような人がいるけども、どうなんでしょう」というご相談が多いのが一番の理由です。

また、個別にはご相談に乗れませんし、特定のケースについて私が断定的なことを申し上げることは残念ながらできません。
その理由は、私は全てを知らないからです。一部を聞きかじった第三者に過ぎないからです。同時に、専門家ではないからでもあります。

ですが、どうぞ、あなたのために判断をしてください。あなたに一番に親身であるべきなのは、他ならぬあなたです。
ボダに脅かされる日々の中で、思考を動かすことがつらい日々の中で、それでもあなたはあなたのために力を振り絞ってください。
あなたは、そうしてよいのです。

いただいたコメントは全て読ませていただいています。ありがとうございます。そして、単なる第三者として、こんな遠回しな形ですが少しでも心に届くことを願ってゆるりと更新をしたいと考えています。