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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

線引きできないあなたが悪い?及び、蛇足。(コメント返信)

今回もコメント返信です。

始める前に、更新の間が(またもや)開いた事のお詫び、その間にも皆様から変わらずコメントをいただけたことへのお礼を申し上げたいと思います。
皆様からいただいたコメントは、全て読ませていただいています。お礼を下さった皆様には、くれぐれも、先ずはご自身の頑張りをご自身に向かって称えて下さいますように。このブログが少しでもお役に立てたなら何よりですが、確実に言えることとして、皆さん自身の頑張りこそが、皆さんの成果には必ず欠かせなかったことなのです。

そして、ご質問いただいた皆さんには、長らくお答えしないまま更新をせずにすみません。更新をしても直接的なお返事はできませんが、何かしらこのブログの記事がお役に立てることを願ってやみません。
皆さんそれぞれ、少しでも早く苦境を抜け出せることを願っています。

その他ご批判なども全て読ませていただいています。書き込みを下さってありがとうございました。しかしながら、謝罪や訂正、削除の要求にはお応えできません。意に添えないことをお詫びします。


さて、今回の返信です。

今までの記事で、私は少なからず「被害者が被害を受けている間は、ボダは加害を続けてしまう」という旨の事を書いています。

私がこのように書く一番大きな理由は、「ボダは娯楽目的でタゲをつくるわけではない」ということです。自分の不安をどうにかしたい、などの切実な理由が存在します。
しかし、どれほど切実だとしても、それに付き合う必要はありません。きちんと自分と相手の境界線を引き、できないことはできないと伝えればいいのです。

でも、タゲになる人はほぼそれができません。できないからタゲになるのです。
ならば、立ち去るべきだと私は思います。
線が引けないことは、タゲの立場では非常に厄介です。人生すら壊される事があります。同時に、線を引けない相手にボダが要求を繰り返して、それでボダが幸せになれるかというと、そうでもありません。次の不安が、そのまた次の不安が、ひたすら不安が繰り返され、苛まれるだけなのです。

そんな関係に気がついてもなおタゲになり続けることは、誰にとっても不幸でしかないことです。
だから、逃げろと書きます。
逃げていいんです。

このような前提がありますが、だからといって「逃げないタゲが、線が引けないタゲが悪い」のかというと、それは違うと私は思います。

この主張は、万引きをたくさんされて潰れた本屋に「万引きされる方が悪い」と言うようなものです。言うまでもなく当たり前ですが、万引きする人が悪いに決まってます。そんな当たり前の大前提を、しかし「万引きするようなクズに注意したところで改まることもない、だから自衛をしない本屋に注意をする」ような感覚で、しかし本気で述べる人も、中にはいます。

素直に書くのなら、私はこのような主張をする人は、ボダの次にタチが悪いと思います。
本人は本気で、親身なつもりでタゲに自衛の手段を授けるかのように言うわけです。しかも指摘としては正論です。現に私も「線引き」の大切さは記事にしました。事実、大切です。だから間違いではありませんが、被害に悩んでいる人にそんなつまらない正論をぶつけて、「それができない(できなかった)あなたも悪い」と詰って、何が得られるのか。私にはさっぱり理解ができません。全くどの面から見ても解決につながらないし、建設的な気配すらもありません。言うなれば、ただの自己満足な、つまらない正論です。

というのが、私の回答です。
参考になれば幸いです。


ついでですから、蛇足としてこのままつらつらと続けたいと思います。

望外のこととして、少なからず境界性パーソナリティ障害を患われている方からも、温かいお言葉をいただく事があります。

変わらず、私自身の素人解釈としては、「境界性パーソナリティ障害は(治らない「性格」や取り除けない「障害」ではないという意味で)病気であり、ご自身に、そして治療に向き合われている方は、既に境界性パーソナリティ障害ではなくなりつつある」と考えています。
温かな言葉を下さる方々が、いつか本当に安心を得られることを願わずにはいられません。

そして、自覚をしながら、自己に閉じこもり、人との関わりを避けている方もコメントを下さる事があります。
酷い事をしてしまった相手に謝りたいけども、という内容が殆どです。
私はどの意味においても全ての人の代表ではありませんから、どこまでも「個人の意見」にしか過ぎません。でも、その個人の意見としては、「相手にわざわざ接触はせずにおいてあげると良い」と思います。
あなたは、相手にとっては恐怖の対象です。関わりたくない相手です。謝りたいお気持ちがあるのであれば、そっとしておいてください。


冒頭にも書きましたが、ご批判もいただいています。読みながら、色々と考える糧にさせていただいています。

一番興味深く感じたのは、以前の記事に書きましたが「お前も死ね」の「も」です。そしてその次に興味深く感じたのは、「たったひとりにタゲられただけで」というフレーズです。
そもそも複数回も被害を受けたとしたら、多分私は(なんの比喩でもなく)人生完膚なきまでにダメになります。立ち直れないし、このブログも書けません。一度でお釣りがあるくらい充分です。
このような半分茶化したようなツッコミを抜きにしても、なお興味深く感じたのは、つまり「受ける側には深刻なもの」であっても、「与える側にはほんの少し」になりうるのかな、という部分です。
これ自体は、世の中にありふれた考え方です。例えばイジメでも、悪意のないイジリであっても、与えた方は忘れてても与えられた側は人生に大きな影響を受けている事も少なくないでしょう。イジメやイジリ程の深刻な話ではなくても、「言った側は忘れてるような事なのに、言われた側は長年フラストレーションを抱える」というのはよくある事です。

実際、ボダ被害を受けた方なら一度となく覚えがあるかと思います。何の気なしに言った言葉をとんでもない意味で捉えられ、何ヶ月も経ってから「あの時にあんな事を言われた」とぶつけられる経験。あまりの悪意の解釈と、あまりに前のことであるために、驚愕する経験。
例えではないのですが、私は「今日は春らしい天気だね」という言葉について、初秋辺りで責められました。「寒くて屋内に入りたかったのにそのせいで言い出せなくて、すごい辛かったのに気遣いもなく外を引きずり回された」という切り口でした。こう文章にすると数秒かからず読める程度のものですが、当時は何を言っているのか理解するのに数時間かかりました。

強引に纏めると、人はどのように捉えて解釈するかは、その人自身に委ねられます。自分が些細と思っても、必ずしも相手にとって些細とは限りません。むしろ、ちょうど釣り合うくらいの状態なんてほとんどないのでしょう。

ですから、伝えたい事は何度でも自分の意図に対して齟齬がないように説明を厭いませんし、それでも何かしら意図しないことが伝わってしまうという事象について、ある程度覚悟しなくてはいけないと、私は考えています。


蛇足なので尻切れとんぼもおかまいなしに、そろそろ締めたいと思います。

今年の春は天候が不安定な感じがしますね。
大雪にも驚きましたし、気がつけば花粉も盛大に舞ってます。桜もついうっかり見逃してしまいました。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
こんなペースなので本当にお待たせしてしまいますが、それでもよろしければ、コメントも引き続きご自由に投稿ください。しっかり読ませていただきます。そして、ゆっくり、ぼんやりとですが返信をさせていただきます。

では、次の記事でまたお会いしましょう。
どうぞ皆さん、ご自身を大切に。