ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

「死にたい」と言われたら。

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

 
境界性人格障害の人や、自分を境界性人格障害ではないかと考えている人、そして回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。また、私はあなたの事を知りませんし、知らない人に対して個別に記事を書いたりはしません。つまり、ここにはあなたのことは何も書かれていません。どうぞ、読まずに他のサイトへ移動してください。
 
 
さて、本題の前に軽くコメント返信です。
 
まず、大変しつこいですが、メールその他直接のご連絡は全てお断りいたします。理由は従前の通りです。ご希望に添えず申し訳ありません。
 
次に、新しい一歩を踏み出すことができた皆さん。過分にお礼をいただきありがとうございます。ですが、それを成し得たのは皆さんの力によるものですから、どうぞ自分を先ずは褒めて下さい。おめでとうございます。
これからの皆さんの人生が穏やかで良いものであることを願います。
 
そして、まだ苦しみの途上にある皆さん。このブログがほんの少し、皆さんがご自身のために頑張る一助になることを願います。
どちらに進んでも苦しい道のりです。でしたら、どこまでも自身の味方であり続けられる道をお選びになってください。自分が自分を見捨てる事が、一番の罪だと思って下さい。
少しでも早くあなたが良い道を選べる事をお祈りします。
 
あと、私が考えるに、境界性パーソナリティー障害の人と上下を決める必要はないかと思います。極論、道ですれ違う人全てと格上・格下を決めて歩くことは全く無意味です。私がもしも相手にそのような気質を感じた場合は「格上のポジションを確保する」ではなく、そもそも「相手にしない」を選択します。
 
 
では、本題に続く前振りです。
 
以前の記事でも類似したことを書きましたが、相手に「死んでやる」と言われると、殆どの人は簡単に相手の言葉に耳を傾けてしまいます。
例えば何かしら予定のある日に、突然知り合いに「今から死のうと思う」と告げられて、元の予定をそのまま続けようとする人は少数派です。
これには、色んな理由があるでしょう。単純に人が自ら命を絶つ事に対する、或いはもっと単純に「死」に対する色々な感情もあるでしょうし、或いは「死のうとする人を放置する」ということに対する倫理的なものもあるでしょう。倫理的なものは、考えを延長していけば、言われた側の社会的な立場の問題にも繋がるかもしれません。
いずれにせよ、相手と自分の間に「命の駆け引き」がうまれた場合、それを無視することは殆どの人はできません。
 
ボダは状況が進んでいくと、往々にして「死にたい」「殺してほしい」「消えたい」などと被害者に言うことがあります。
 
これはかなり強烈なカードで、被害者の殆どは振り回されることになります。被害者が持つ全てのリソースを「引き止める」ことに費やさなくてはなりませんし、それをすると被害者は孤立していくことになります。例えば会社員なのに会社を休んで、学生なのに授業やバイトを欠席・欠勤して、などと。
 
なお、少し逆の視点で見てみましょう。
 
そもそも、ボダが本当に死んでしまいたいと思っているのかと言えば、私はそうではないと考えています。敢えて言えば、自分すら嫌ってる状態なら「消えてしまいたい」と思っているのかもしれませんが、積極的に死にたいわけではない。むしろ、その感情や状況を相手に投げることで、そして引き止められることで、消えなくてもいい程度の価値を自分に認めたいのかもしれません。
このような考え方から、最初の記事で私は「ボダはあなたがいなくても明日も元気で生き延び」ると書いています。
 
視点を戻しましょう。
 
ボダの心の中にどんな事情があるにしろ、明言しておきますが、この強烈なカードは被害者にとって迷惑以外のなにものでもありません。
このように書くと「人が死を考えるほど悩んでいるのに不謹慎だ」と言われるかもしれませんが、そんな方には「では、つきつけられる被害者の苦悩は無視するのか」と返しておきます。
なぜなら、この本質は「お前の全てで私の価値を認めろ」なのです。被害者の日常も社会的な立場も信用も、もしかしたら被害者が守るべき他の誰か、そういう何もかもを破壊しても破棄することとなっても被害者はボダを引き止め、説得し、ボダに価値を与えよ。こう要求されているわけです。
 
ちなみに、同じ効果をもたらすことを考えると、何も「死ぬ」ことだけがカードではありません。被害者が同じ苦悩を抱えるなら「被害者の知り合い、身内に被害を与える」「被害者の社会的な立場にダメージを与える」のような内容でも同じです。
 
しかしながら、カードをつきつけられた側はこれを無視する選択肢はありません。
 
では、どうするべきか。
これがこの記事の本題です。
 
先ほど書いたことを繰り返します。
無視をするという選択肢はありません。なぜなら、稀とはいえボダはうっかり自殺を完遂してしまうことがあるからです。そうなると被害者の人生に影響することは必至でしょう。
 
では、喧嘩をした挙句絶縁をしてみる。ダメです。理由は上記に同じで、きっかけとして扱われると被害者の社会的な立場に深刻なダメージとなります。ましてや、喧嘩の挙句「なら死ね!」などとは絶対に言ってはいけない。
 
ならば、説得する。
これも上策ではありません。そもそも、自分の死を相手に突きつけるというのは暴力です。本人が止める以外に解決策もないのに、なんの説得ができるでしょうか。
ドラマで説得されるシーンは数多ありますが、あれは単なるドラマであり、予定調和です。
人は他人を言葉だけで生かすことはできません。なぜなら、人は生きる意味を自分で考えている生き物だからです。最終的に生きる意味は自分で定義をするものです。
もちろん、迷った人生に道標を与える素晴らしい人たちもいます。ですが、聞く側が聞く気なければ、無理なものは無理。
さらには説得が空回りし、煮詰まり、挙句に一緒に死のうとなったり、いっそ苦しまないように殺そうとなったりするリスクがあったり、最悪、流れで追い詰められてボダが死ぬしかないと思ってしまうような状況になったりしたら最悪です。
 
以上踏まえて私が考える結論は、公にすることです。
 
死ぬという暴力をつきつけられたら、迷わずに周りに助けを求めて下さい。一刻も早く、できればなるべくつきつけてきた相手に知られないように。
最悪知られても構いませんが、万が一相手が焦って早く死のうとするかもしれませんから、知られないことはより安全です。警察でも消防でも、親でも知り合いでも構いませんが、ともかくつきつけられたあなた一人でなんとかしようとしないこと。
勿論、そのあとは面倒な事があると思います。ですが、少なくとも相手を死なせてしまうよりも全然マシです。あなたも知っている通り、死ぬというのは取り返しのつかない事象です。
 
もしあなたが公にできたなら、できれば、その後もお茶を濁すような形でおさめないことを強くお勧めします。明快に書くなら、そこで線を引いて縁を切りましょう。あなたに死をつきつけるという強烈な暴力を振るう相手とは、これ以上関係を続けることは何の進展もありません。
 
蛇足ですが、
 
このような記事を書いたのは、少し前のことになりますが、高校生が嘱託殺人のようなことをした(かもしれない)という事件を聞きかじったからです。亡くなってしまった人がどんな人だったかはもちろん知りません。
 
私自身はボダ被害を受けるにあたって、多分多くの同じ被害者の方々がそうであったように、何度も「死ぬ」と(本当にそれほどの理由もない状況から突然)突きつけられたりしました。
思い返すと非常に嫌な気分になります。
長時間の説得をしたり、凶器になりそうなものを全て隠したりもしましたし、何よりとにかく精神が削られたのを憶えています。
 
コメントでもいただきましたが、ボダ被害も酷くなると、こちらがただ眠ることですら怒りを買うような状況になります。
そんな中、ようやく眠ってからおこされ、目を開けると目の前で首を吊るパフォーマンスをしていたり。(その時は流石に怒りを覚えたものです。)
 
そういう精神状態が続くと、本当に正常な判断が危うくなります。あの嘱託殺人(だったかもしれない)は、もしかしたら自分も辿りかねない道程だったかもしれない。そう思い、この記事を書くことにしました。
 
どうぞ、カードを突きつけられたら、是非公にしてください。助けを周りに求めて下さい。
あなたはひとりでその交渉テーブルにつく必要はありません。なりふり構わず、とにかく助けを周りに求めること。
 
この記事が、被害者として追い詰められているあなたに少しでも届くことを願います。
 
追記:誤字訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
追々記:さらに誤字を訂正しました。ご指摘ありがとうございます。