ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

演技お断りの意思。

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。また、私はあなたの事を知りませんし、知らない人に対して個別に記事を書いたりはしません。つまり、ここにはあなたのことは何も書かれていません。どうぞ、読まずに他のサイトへ移動してください。

まずは、前置きです。

一般的に言えることですが、人は相手を判断しようとする際に、意識的に或いは無意識に「自分ならどう考えるか」ということを判断基準にします。簡単な例を挙げれば、自分がこう返されたら怒るだろうからこの言葉は避ける、自分がこうされてもなんとも思わないから、相手にも普通にする、などです。

そしてやはり一般的に、自己感情を優先して相手の意向を無視することもあります。自分がされたら怒るけど、相手には平気でしてしまったり。諺にもありますね、自分が嫌なことは他人にもしてはいけない、的なものが。

このふたつの事象は、それぞれの人にそれぞれのバランスで備わっているものです。もしバランスが大きく偏っていれば、何かしらの窮屈さを感じるかもしれません。他人の顔色ばかりうかがってしまって自分の意見を述べられなくなっていたり、逆に他人から思いがけず大きな不興を得たり。バランスは大切なのかもしれません。

なお、今回の本題の軸となる話は、ひとつめの事象です。

相手の思考を汲み取ることについては、客観性が必要になってきます。
ちょっと例を挙げてみましょう。頼みもしないのに、食べ物や子どもの古着などをことあるごとにお裾分けすべく訪問してくる人がいるとしましょう。本人は「そのようなお裾分けは助かるものであり嬉しいと思うものだ、だからあなたも喜んで受け取るだろう」と根っから信じて足を運んできてくれます。あなたは礼を述べ、実際には迷惑なので遠回しに今後はもういらないことを伝えますが、さっぱり通じません。あなたの様子を客観視せず、その人は信念をもってあなたが喜んでいると信じ、お礼だけを聞き入れ、「遠慮要らない、また持ってくるから」とあなたの遠回しな断りを勝手に解釈、処理して帰っていきます。

ここに発生しているのは、あなたに対して自分を反映し、あなた自身を見ていない「自己投影もどき」(専門的な自己投影の定義からは外れるので「もどき」と書きます)です。客観性はなく、品物に喜ぶべき役割をあなたに押しつけ、あなたの言葉を自己都合で解釈します。あなたはいわば演者を要求されているわけです。あなたに求められているのはあなたの意思に関係ない反応(演技)であり、あなたの意思が伝わらないのは、あなたの意思など求められていないから、ということです。

さて、本題に入ります。

ボダに自分の意見を伝えることは、先の例の人に「お裾分けが不要であり、迷惑である」と伝えることに似ています。
あなたがするべきことは、根本的には「お裾分けは不要である」ではなく、「それを喜ぶ演技はしたくない」と伝えるということです。

だいたいの人は、相手の厚意を汲み取り、なるべく穏便に済ませたいと軟着陸を目指して言葉を選び、意味を含ませて断りを入れるでしょう。

しかし、特にボダが相手の場合は、そのようなものは通じないと考えてください。お裾分けの人は趣味として厚意を発動させているわけですが、ボダはそれをしないと自己の不安を制御できなくなるのです。真剣さが異なります。

伝えるための方向性はふたつだと思います。いずれの方向性にせよ、共通することがあります。
ひとつは、相手が機嫌を損ねる、という感情を持ってはいけないということです。どのみち断るのですから、相手は不快に思うことは当たり前のことです。もちろん、全くあなたのせいではないですが。
ふたつめは、できるだけ1対1でのやりとりは避けてください。タゲにされている以上、孤立化することは最も危険です。例えばおおごとにしたくないから、恥ずかしいからと情報を隠すことは、周囲に捏造話を吹聴される原因になります。誰でも片方からだけの話で出来事を解釈する可能性があるので、オープンにするということは、客観性を周囲の人にも保たせるために必要です。もちろん、ここでのオープンは、事実をオープンにすることです。悪口を言うなど、あなたの悪感情をオープンにしても良いことはありません。
みっつめは、感情的な言葉は使わないこと。勝手にしろ、好きにしろ、死ねなどの煽る系の言葉はとにかく厳禁です。理由は、以前の記事にも書きましたが、その言葉をエクスキューズとしてあなたになんらかの責任転嫁をしてくる可能性があるからです。


さて、方向性のひとつめは、解釈の余地なく、ストレートに伝えることです。
例えば「ストーカーみたいなことはやめて欲しい」では不十分です。今起こっている不愉快なことが不愉快であると伝えなくてはいけません。
「メールを大量に送ってきてるのをやめて。」「駐車場で待ち伏せされるのは不愉快だからやめて。」「家出したから泊めてと言われても、嫌だからできない。」(家族もいるし、などのあなた本意ではない理由はよくありません。)困る、などの曖昧な言葉、包括的なここ最近の状況というぼんやりしたものではなく、都度、その時の状況に限定し、嫌であることをストレートに伝えます。根気が必要ですし、頭に血が上るほどの怒りを感じたとしても、冷静に言ってください。逆に、相手に泣かれるかもなどと遠慮してもいけません。
伝えたら、以降はメールに応答しない。或いは、その場から立ち去る。電話なら、会話を終わらせて切る。すぐに不愉快であることを態度で示してください。それ以上の対応はしない方が良いです。
泣いてるのを慰めると、泣けばなんとかなると思われますし、返信をすればそれでも構ってもらえると解釈されます。電話を切らなければ、挽回できると思われる可能性があります。自己都合による解釈をゆるしてはいけません。

なお、身の安全は第一です。仮にボダが目の前で逆上したら逃げるべきですし、自殺を仄めかしたら躊躇なく第三者に委ねましょう。嫌がらせをしてきても同様です。
あなたが自分でなんとかしようとしてはいけません。そして、大切なことですが、あなたではなんともなりません。

方向性のふたつめは、無駄な議論や会話に乗らないということです。
例えばボダが仕事をぶっちぎったり、手順を守らないようなことがあるのなら、その言い訳について長々聞くことは無意味です。気がつけば論点は大きくずれているでしょう。
理由は問わずにおいて、できなかったことへの改善(のみ)を求め、今後の対応策と、必要であればペナルティを告げる。(そして、ルールに則ってきちんと執行する。)あなたがやるべきことは仕事であり、非建設的な話題につきあうことではありません。
言い訳、論点のずれた議論、それらにつきあえば、もはやあなたはボダが主役の舞台に上がらざるを得ません。
もちろん、先に挙げたように、できるだけやりとりはオープンにしてください。
極論的には、あなたが上司などの上役に言葉を尽くしてボダの事を語るより、ただ単にオープンにする方がよく周囲にも伝わります。内密に済ますことは、結果的にあなたのクビを締める行為です。

いずれの方向性にせよ、あなたは理想ないし悪感情を投影された演者という、ボダにふられた役割を、自らの意思で破棄するために動くということです。
暫くはしつこく割り振られますが、あなたを演者にできないと理解すれば、あなたに悪感情をぶつけながらいずれは離れていきます。
あなたは、あなた自身の評価が、ボダによって根本的には左右されないと知っておいてください。ボダの評価を鵜呑みにしてくる人は疎遠にして問題ない人です。もしも罪悪感を煽られるなら、関わるよりはマシだと割り切ってしまえばいいです。それくらいの強気で挑みましょう。

いずれにしても、逃げられるチャンスが来れば逃げるのは最善であることも、添えておきます。


最後に。
ぼんやり過ぎるコメント返信です。
たくさんのコメント、ありがとうございます。
どうぞ、あなたの一番の味方として、あなた自身を信じて、一歩ずつ進んで行きましょう。
歯を食いしばるように堪えた方、守りたいもののために踏ん張った方、同じ土俵には上がるものかと耐えた方、かつて自分が抱えていたものをお話くださった方。
それぞれ、みなさん、どうぞ、これからの人生を良いものにしていきましょう。よくぞ頑張られました。なんの役にもたちませんが、応援しています。

余談ですが、今年は日本中天気大荒れですが、知人から早咲きの桜の写メをもらいました。
春ですね。桜も咲き出す季節です。そのうち、いたるところで桜も咲くことでしょう。
そんな季節の風景も楽しみつつ、どうぞ、良い人生のために頑張っていきましょう。