ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

境界性人格障害者は何故被害者を振り回すのか

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。読まずに他のサイトへ移動してください。


今回は被害者にとって大きな疑問、被害を受けている間も被害を受けた後にも抱え続けることになる疑問、「何故」の中のひとつについて考察をしたいと思います。具体的には「ボダがどうして被害者を振り回すのか」、つまり「何故振り回されたのか」ということです。

順序立てて考えましょう。

ボダは被害者の生活や人間関係、果ては思考や価値観まで荒らし、否定し、徹底的に破壊します。

ただし、ボダだけがそのような行為を行うわけではありません。
例えばグループ内の派閥争いでライバルを蹴落とそうとする行為にも、先に挙げたような行動が伴う場合があります。
世の中には、自己を高めることで他者との差をつけるのではなく、他者を陥れることで自己の優位を確保しようとする人は普通に居るのです。

にも関わらず、それらとボダを区別し、なおかつ避けるべきである理由、転じて被害者が翻弄され疲弊してしまう理由は、大きくわけて次の二点だと思います。

ひとつは、単純にボダの破壊力の大きさです。ボダの倫理観の欠如或いは他者を尊重するという意識の欠如を原因に、その被害はとてつもなく大きなものになります。
ボダは一般的に「そこまではしないだろう」というレベルを軽く超えます。平気で嘘を捏造し、タゲの都合を無視し、倫理の壁を越え、一般的に存在している暗黙的なルールを破ります。

もうひとつは、こちらが理由の考察へとつながるのですが、ボダの取る行動や発言について、動機や目的を理解し難い、ということです。
敵対行為にしろ嫌がらせにしろ、そこには通常(同意は全くできないとしても)理解できる動機が存在します。
ですが、ボダは本人の価値観が定まっていない上に頻繁に刹那的な思考をしてしまうために、時にはボダ本人の損得すら超えた行動をしたり、極めて短いスパンで相反する動機を元に行動します。
このため、被害者は理解が追いつかずに振り回されたり恐怖心を覚えたりすることになるのです。

では、何故ボダはそのような行為をするのでしょうか。

ボダの思考や価値観は不安定であり、振れ幅も大きく、極論としては二値的です。そしてまた、ボダは自分自身の価値を感じることができません。
さらに、否定的な感情を抱えるとそれを手放すことができません。許せないものはずっと許せず、嫌なものはずっと嫌なのです。仮に否定的に感じていた他者に、一時的に再び好ましさを見つけたとしても、直ぐに否定的な記憶で好ましさを打ち消し、破棄してしまいます。

このような性質により、ボダは自分の中で否定的感情を抱え続けているので、結果的に常に全てに対して不信感を抱えてもいます。(他者への不信感もですが、自分自身にも不信感を抱えています。)そして、その不信感から、被害妄想的な思考も発生します。
例えるなら、パートナーの浮気を疑った途端に、携帯を見せてくれないのも、連絡がつかない数時間も、会話での返事がそっけないのも、全て浮気の証拠に思えてくるような感覚です。それがありとあらゆる事象について連続的にずっと続きます。自分に価値はなく愛される要素がないのではないか、相手は自分を見捨てるのではないか、などです。

こうして、ボダはタゲに対して「妄想を元にして疑い、非難し、試し、自己に都合良く解釈できるまで責めたて、否定の要素を探し出し、そして次の妄想の糧にする」という行為をループさせることになります。
最終的には、被害者にとって理解のできない状態が作られ、被害者はボダから「理解してくれない」と被害者の非として責められ、追い詰められるのです。


ここまで考えると、このボダの行為への対処法は明らかでしょう。ボダが抱えている自分勝手なループに付き合うのをやめるしかありません。
その方法としてシンプルなのは逃げることです。次善策は物理的に、精神的に垣根を作り拒否することです。

そして同時に、何故と考えてみても答えが出ない理由も、おわかりいただけると思います。突き詰めて考えれば、その解は「考えるだけ無駄」なのです。
そんなことより、今日の夕食で何を食べるか熟考することの方が遥かに有意義なのです。(タイトルを非常に裏切る結論ですが。)

さて、最後に。
人はどうしても理由や原因を考えてしまいます。
特に自分が痛い目をみた時には、また同じ目に遭うことを避けたいために、きっと本能的に考えてしまうのでしょう。

しかし、このような理不尽しか存在していない上に理解し難いものなので、ここは気持ちを切り替えていくことをお勧めします。
でも、どうか考えてしまう自分を責めないでください。そして、進むことこそ大事だと、見失わないように、あなたのためによい人生を歩んでください。