読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

選択するための考え方。(コメント返信)

さて、コメント返信です。

 

コメント返信に先立ち、相変わらずで申し訳ありませんが、直接のご連絡は遠慮させていただきます。また、ピンポイントな回答も同様に遠慮させていただきます。ご希望に沿えず、申し訳ありません。

 

長期間ブログをサボっていたためなのですが、いつものようにコメント返信をすると非常に長くなることに気がつきました。
ですので、皆さんからいただいたコメントについてお返事めいたものをする、という方向で幾つか記事を分けて書いて行きたいと思います。

 

では、始めましょう。

 

ご自身の立場が弱いため、周りに相談することを躊躇されている、というご相談が少なからずあります。例えば親や兄、姉から被害を受けている、例えば会社やバイト先の上司、上役にあたる人から被害を受けている、など。
文章を拝見すると、混乱されているのかな?と感じることも少なくありません。ただでさえ強く出られない立場(または力関係など)の上に、ボダ被害では往々にして「解決を目指すと非常に困難な状況になる」ことがありますから、「八方塞がり」を感じてしまうこともあるのです。(結果、混乱することも少なくありません。)

 

しかしながら、「何を選んだら良いのかさっぱりわからない」時でも、時にはどうしても選ばなくてはいけないことはあります。
今回の返信では、そんな時の「私の個人的な考え方」を書いてみたいと思います。


重ねて書きます、あくまでも私の個人的な考えですが、人生は選択の連続です。私がブログを公開したことで私はたまにコメントで苦情をいただきますが、私はブログを公開しなければ、あたたかな労いのお言葉もいただけませんでした。これも(選んだという自覚の有無はさておき)選択の結果です。今から私が紅茶を飲むのかコーヒーを飲むのかも選択で、今こうして記事の下書きをしていることも何かしら(例えば時間の使い方、のような選択肢の中からの)選択の結果です。つまり、別に結果として大きな出来事が起こらないような些細な事だとしても、常に私は何かを選び、或いは選ばずに生きています。

 

「コーヒーか紅茶か」なんてどうでもよい選択ですが、たまには選択の中には悩ましい選択もありえます。


かつての私や、現在のあなたは、ボダ被害という困難から抜け出すために、選択をしなくてはいけない場面に立っています。選ぶと(選んだせいで)何かしら失う可能性がある。それが何かは、人によって様々ですが、取り返しのつかないもののように感じることでしょう。

 

勿論、「選んでも何も失わずに済む」が一番望ましいですし、さらに良いのは「選ぶことなくやり過ごせる」事ですが、それはほぼ無理です。(正確に言えば、本当にずるずる放置すれば、色々な理由でいずれは終わるのですが、その時には様々なものが壊れた状態になってしまいます。)

ですから、できるだけ速やかに選ばなくてはいけません。


そもそも、先に書いたように、放置すればするほど破壊は進みます。「選ばない」という選択肢はありません。選ばないことは、自身を見捨てるに等しい選択だからです。


では、何を選べば良いか。その回答はご自身しか出せないものですので「これだ!」というものはありません。ですから私が提示するのは、「選ぶ時の考え方」というわけです。

 

ようやく本題に入りましょう。

 

選ぶ時には、例えば「縁を切る」「とことんつきあう」のように、結果が選択肢として見えていると思います。判断するにあたって、平たく言うなら「どちらが得か」「どちらが穏便か」など、利益を比べる(或いは「損害、デメリットを比べる」)方法はとても一般的です。


でも、この方法では、ボダ被害への何かしら対処という選択肢は、きっと選ぶことはできません。なぜなら、ボダ被害は基本的にどちらを評価しても「マシではない」「ろくなことにならない」からです。多分、一般的にはこれを「追い詰められた状況」と言います。

 

そんな時は、「必ず確保しなくてはならないもの」から考えていく必要があります。
つまり、これは皆さん必ずそうなのですが、あなたが確保しなくてはならない最も根本的なものは、名誉や外聞、プライドではもちろんないですし、さらにはお金でも家でも職でもありません。あなた自身の生命であり、あなたという存在です。

 

ボダ被害は、これもまた概論でしかありませんが、生命的な危機があることは少ないです。身体に深刻なダメージを受けるような破壊的な暴力を受けることは、恐らく少ないです。
どちらかというと精神的なダメージが多く、生活環境といった社会的な部分に脅威が向かいます。


だから、「生命を確保する」という言葉にはピンと来にくいのですが、私は至って真面目に書いています。精神的に大きなダメージを受けると、本当に「身体がちゃんと機能して、息をしてれば良いわけではない」ことが理解できます。あなたは、そんな状況に陥ることのないように、或いは素早く抜け出せるようにしなくてはいけません。

 

もう一度言います。
あなたにとって必ず必要なのは、あなた自身の生命の安全を確保するということです。それができないなら、名誉や外聞、プライド、お金も職も家も何もかも、意味をなさないのです。

 

例えば過労死、或いは過労を原因に自死してしまう方々も、決して鎖につながれて働かされていたわけではなく、酷く脅されていたわけでもない。
ただ人間は追い詰められると、本当に基本的な「優先順位」すらわからなくなるのです。

 

あなたが明日飢えるのだとしても、今日の生命が安全であることの方が優先です。あなたが明日飢えることができるのは、今日生き延びるからです。

 

もちろん、例えば来週の給料日まで食費が危うい。だから一日2食で頑張ろう。そういう我慢は、ありだと思います。(この例がありなのかなしなのかはさておき。)
でも、給料日は我慢すればやってきますが、ボダ被害はそういうものではありません。あなたが選ばない限り、ただひたすら被害は重なり続けます。それは我慢ではない。あなたがするべき我慢があるとすれば、それはあなた自身を助けるものでなくてはいけません。

 

これが私の考え方です。


たくさんの事は考えません。一番確保するべきものを確保するべく、動く。たったこれだけです。勿論、もしも動けたのなら、必ずご自身を労ってください。自分で自分を労わることができたら、きっとあなたは歩いていけます。

 

この記事が、あなたに届くことを強く願います。どうぞ、ご自身のための選択を。

 

今回の返信はここまでです。
しばらく、こんな感じで更新が続くと思います。