ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

境界性人格障害者との関係について「決断する」ために。

いつものテンプレートの前に。

この記事を書いている現在、熊本を中心とした九州地方で大きな地震が頻発しています。
被災された皆さんには心からのお見舞いを申し上げます。避難も長期になりつつあり、不安な日々を過ごされているかと思いますが、私自身過去に震災を経験して、とにかく身体を大事にすることが最優先だと感じました。苦しい中だとは思いますが、くれぐれもご自愛ください。
早く地震が収まり、復旧が進むことを願います。

では、いつものテンプレートです。

このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、自分を境界性人格障害ではないかと考えている人、そして回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。また、私はあなたの事を知りませんし、知らない人に対して個別に記事を書いたりはしません。つまり、ここにはあなたのことは何も書かれていません。どうぞ、読まずに他のサイトへ移動してください。


このブログは、主だってふたつの目的で更新しています。ひとつは、被害に困りきって身動き取れない方に「逃げても良い」という選択肢を伝えたいということ、そしていまひとつは被害を受けている時に、そして被害が終わった後にも心の整理がつかずに苦しんでいる方へのヒントになれば、という気持ちです。

しかしながら、このブログを読まれた方々について、必ずしもボダと決別を決意される方ばかりだとは限りません。中には「やはり寄り添おう」と決意をされる方もいらっしゃいますし、「それでも受け入れよう」と決意をされる方もいらっしゃいます。これについて、私は「ただわけもわからない混乱のまま振り回されている」のではなければ、それはひとつの選択肢と考えています。(ただ、そのためのノウハウはこのブログでは語ることはありません。専門家の有益な情報が数多存在しています。)

ところで、まだボダとの関係が浅い場合は離れるにしろ付き合うにしろ、決断はしやすいかもしれませんが、関係が深い場合はその決断はそれ自体がとても苦渋に満ちたものになることは想像に難くありません。
離れるにあたって罪悪感は持たなくても良いと私は考えていますが、そこまでさくりと割り切れない方も少なくはないでしょう。

ですから、今回は少し違う視点から記事を書いてみたいと思います。

では、本題です。

折々の記事で触れていますが、境界性パーソナリティ障害を私は病気だと考えています。その発症時の行為は周囲に被害をもたらしますが、その時にはボダ本人もまた苦しんでいます。罪悪感がないからボダは被害を撒き散らしているのではなく、基本的には「それをしないと苦しくて仕方がない」から行動をしているのです。
例えば、試し行為をしてでも相手の気持ちを確かめないと不安で苦しいから、試します。例えば、自我があやふやだから嘘も厭わずに自身を飾り、賞賛を集めようとします。例えば、タゲを罵倒しないと自身の立ち位置が非難されることに耐えられないから、タゲに理不尽な罵倒を繰り返します。
それらを続ける結果、ボダは自分自身を追い詰めてもいます。これらの行為が悪循環を続けることは、被害者に大ダメージを与えますが、それはボダには何もダメージがない、ということにはなりません。

以前に「離れられない場合の対処方法」について記事を書きましたし、その他の記事に於いても触れていますが、被害者が被害を受け続ける状況は、裏返せばボダが加害を加え続ける状況です。
そして、しつこいくらいに繰り返しますが、ボダの症状は誰かが犠牲になれば発散されたり解消される性質のものではありません。
ボダが自身に向き合い、自身を認知していくというプロセスが必要です。そのプロセスを無下にするように、ただボダのサンドバッグになり続けることは、何も生み出さないばかりか悪循環に加担することにもなりかねません。
以上の考えより、ボダの症状にきちんと自身の境界を設定して対処するか、さもなくば早急に逃げるべきだと私は考えているのです。

つまり、ボダと相対するにあたって、以前にも書きましたが、「(少なくとも今のままの)あなたではだめ」だということです。これも繰り返しになりますが、かつて「私ではだめ」だったように。

以上、なかなか決断をできない方に、決断のための整理の一助になればと思います。


以下はコメント返信です。

好きだから離れられないというお気持ちはとてもよくわかります。
ですが一言だけ述べるとしたら、私はパートナーという関係は、お互いがお互いを尊重してこそだと思います。相手に全て譲り続ける関係もまた、相手を尊重している、とは異なるように思います。
どうぞ、ご自身について、ご自身が納得いく結論を出されますように。あなたがどのような選択を選ぶとしても、あなたにとって最善と感じられるように願っています。

ご自身に何が足りなかったのか悩んでいる方もおられますが、「ご自身だけが何か足りない」なんてことは滅多にありません。
また、ボダの謝罪は本気ですが、謝罪が本気だとしても病気に向き合うかどうかはまた別のことだと思います。
あなたが契約をしたのであれば、その結果が出た時には、契約にもまた結論を出さなくてはいけません。
その時にご自身を責めるお気持ちもわかりますが、実のところ自責は相手を責めるよりも楽な行為でもあります。(自分以外傷つく人がいないからです。)
ですが、あなたは自責をこれ以上する必要はないと私は思います。よく頑張られました。これ以降は、苦しいお気持ちかとは思いますが、周りの方とお話をしながらご決断をなさってください。
あなたの未来が良いものになるように願います。

メサイアコンプレックスについて。
確かに、以前の記事にも書きましたが、人を助ける事に労を厭わないタイプの人はボダに狙われやすいと思いますし、そのようなタイプの人にはメサイアコンプレックスのような考え方を持ってる方も少なくないかもしれません。
私が思うに、これらの根本には「他人を傷つける事には躊躇いを覚えるが、自分を消耗することには躊躇しない」という感覚があるように思います。これは、誰もが抱えている感覚です。(例えば「喧嘩になるのが嫌だから自分が折れておけばいい」と考える人は少なくはないでしょう。)
ですから、「助けようと思わない」というよりも、「自身を大切にすることを優先する」という意識をしっかりと持つことが肝要かと思います。
どうぞ、これから先はご自身を大事にしていきましょう。

たくさんのコメントありがとうございます。
全て読ませていただいています。皆さん、苦しみの中で考え抜かれています。よくぞ頑張られました。
縁を切った方も、縁が切れた方も、悩んでいる方も。どうぞ、これから先はご自身を大切にすることを忘れずにいきましょう。