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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

ゲーム機を破壊した音楽家さんの話

時事の話題
今回は雑談なのでテンプレはありません。
とある音楽家の女性が子どものゲーム機を壊した、という話題について書こうと思います。
(詳細についてはリンクは例によって貼らないので、各位検索で探してください)

さて、それではあまりに不親切なので、概要を箇条書きします。
・もともと子ども(男の子ふたり)与えるつもりがなかった携帯ゲーム機を、とある理由により与えることになった
・スケジュールは子どもに決めさせているが、決めるにあたってルールがあり、結果として「休日の夕方辺り」がゲームをしてよい時間となっている
・しかし長男が平日の夜にゲームをやっていた
・前提となるルールを守ってもいなかったので、「怒り狂って」ゲーム機を破壊
・ついでに次男も違反があったので次男のゲーム機も破壊
・嘆く子どもたちに「自分の働いた金で買ったものを自分で壊す気持ちはわかるか?」「ママから二度と信用されないことを心配しろ」「どうやって信用を取り戻すか考えろ」という旨の話をする
・後日、息子さんはテストで満点。友人にツッコミを受けつつ、ゲーム機の件については何かしら消化してる様子。
・他のお母さんから「なめられてはいけないんですね」と賞賛を受ける。

では本文です。

ゲーム機壊すのは、私としてはどうでもいいです。ルールについても教育方針に過ぎない。あえて言うなら(後日談を得意げに書いてそれを新聞に壊したゲーム機の写真を添えて投稿するまでを含めて)随分と粗野で原始的な手法だと思いますが、粗野は嫌悪感を生むだけで、ここについても私は「そうですか。」以外の感想はありません。

では何故記事を書いたかというと、「二度と信用されないことを心配しろ」という、その言葉です。凄まじい「支配感」が漂っていて、私はここにゾッとしました。(なんですか、信用されない場合、いったい何がどうなるんですか?)

人は心のどこかに「支配欲」を持っている、と私は考えています。それは「相手より優位であると確かめたい」気持ちであったり、「相手を屈服させ、或いは服従させたい」という気持ちでもあります。人は社会を作って生きるものなので、これはあって然るべきです。ゼロだと、ある意味社会を手っ取り早くは構築できない。

ですが、支配欲というのは奮うと大抵「見てられない」ものに映ります。
例えば、とある下請け業者を相手にするとき。自分が発注の業務を握っていて、それがイコール下請け業者の生殺与奪に等しいとき。類似した状況はいくらでもあります。多くはないと思いたいですが、その状況にあぐらをかいて歓待含めた無理な事を要求する人、いますよね。
例えば、教師と生徒。ブルー卿の件とか笑っちゃいます。粗野だ。ダメすぎる。他にも「児童」と呼ばれる年齢の子どもを相手に「一国一城の主」になっちゃう教師。
例えば、親子。ひとりで生きていけない相手に文字通り、生殺与奪が可能な親が子どもを支配的に扱う。

それはとても楽な関係です。
聞かなければ(物理的なもののみならぬ)暴力を振るい、怯えさせていう事を聞かせる。そのうち完全に支配できれば、自分の成果として満足する。場合によっては「武勇伝」として披露する。ですが、それは単なる支配です。躾でも教育でもない。
だから、私はゾッとする。

人は支配という安易な関係方法を知っていますが、同時に「支配で作らない関係」の築き方という叡智も持っています。
その叡智こそ、成長していく上で伝えていかなくてはいけない。支配することが当たり前で、或いは逆視点から見ると支配されてることが当たり前な人は、必ず心に虚が生まれる。

私もまた親という立場から、或いは社会に生きる一員として、件の記事を読んで今一度自分を戒めたいと思いました。

これは本当にただの雑談です。
次は多分、コメント返信します。