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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

嘘を簡単に膨らませる「実は」という展開

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

なお、今回はテンプレートはここまでです。この記事では「嘘が膨らむこと」について考察しますが、それは境界性パーソナリティー障害だけの特徴ではありません。関係なく世の中には嘘を平気で重ねてしまうタイプの人がいますが、そういう人が「嘘をついた後の思考」を考察したり、「騙されているわけではないのに騙されてしまったかのように振り回されてしまう思考」を考察してみようと思います。

では、本題に入る前の前フリから始めます。

今の世の中、たくさんの物語が創作されては発表されています。ですが、それらの物語を分類していくと、いくつかの源流に集約する、なんて話もあります。

実際、創作するにあたってテンプレートを用いるという手法はあると思います。例えば「主人公が成長する冒険物」「運命の出会いから始まる恋愛物」「世を忍ぶ仮の姿での勧善懲悪物」など、こう書いただけで皆さん何かしらタイトルを思い出せるほどのテンプレートではないでしょうか。

でも、テンプレート=陳腐ではありません。テンプレートは物語の展開に安定を与えるためのものであり、どのように展開させ描写するかが作家の腕の見せどころでしょう。そして、この「テンプレートに味付けをする」テンプレートには、ある意味、多くの人の琴線に触れるものがまた存在します。例えば「主人公に近い人物の死」「ライバルとの和解、そしてより強力な新しいライバルの出現」など、こう書いただけで(以下繰り返しなので省略)。

ただ、テンプレートをひたすら組み合わせただけでは陳腐で興味を惹かない物語になってしまいます。また、使い方によっては不自然にもなります。例えば、推理物に連続殺人はありえますが、恋愛物に連続殺人はかなり恋愛物としてはトリッキーです。格闘物でようやく倒した敵の後に延々と雑魚ばかり現れたら、読者は困惑するでしょう。
つまり、物語には流れがあり、ある程度の束縛条件もあり、そして収束へ向けて盛り上がりもしなくてはいけないのだろうと思います。

そして、ひとつの味付けの方法として便利なものがある、と私は考えています。
それは「後付け」です。後付けを突然持ち込むと、意外性から受取り手の心を刺激します。これもまた、鉄板な手法はあります。「ボスだと思っていたのは『実は』操られていただけの存在だった」「主人公が想いを寄せていた相手は『実は』この先長くは生きられない重病だった」など、こう書いただけで(省略)。

『実は』というのは、かなり強力なエクスキューズです。前提も伏線もなく受取り手に呈示をしても、内容によっては許容されます。

さて、本題に入りましょう。

突然ですが、私は実は父が精神科医として活躍している、かなり重鎮と呼ばれる人のひとりなのです。

…どう思いましたか?
「嘘だろ」と思った方は正解です。特に私の周囲、近しい肉親や知人に医者はいません。
ですが、嘘だろうと思った人も含めて、このように考えたりはしませんでしたか?「嘘か本当か、判断し難い」。
私が自分の素性を明かしていない以上、そう考えることは自然です。

はっきりと上に書いたことは嘘です、と明言した上で、本題に大切な部分を抜き出します。それは「真偽の判断が難しい」という状態です。この時、人は嘘か本当かを判断することをやめて、別の思考をするようになります。具体的には「どちらでも良いような対応をする」です。それがどれほど嘘だと思えるほどであっても、確実にそうだと判断できるまではそれを言葉にしたり態度にすることは避けます。

分かり易い例を挙げます。(そして、この使い方はボダにありがちなことだと私は考えています。)
「実は私は以前【嘘か本当か判断材料が不足している出来事】でトラウマを受けた。だから、あなたのさっきの発言はそのトラウマから、すごく苦痛に感じて消えてしまいたくなった。」
【 】で括った部分にその詳細な内容を添えられた場面で、「お前、それ嘘だろ」と言える人は少ないでしょう。同じく「だから何?そんな知らない事を持ち出されても知ったことか」と言える人も少ないでしょう。
詳細な内容がかなり突拍子もないものであっても、なおかつ内容が深刻であればあるほど、言える人は少なくなるはずです。
そして、そんな多くの人は「判断の保留」をします。判断の保留が起きると、人は「どちらでもよい」態度を選び始めます。この場合、真実だった時に負うリスクを回避しようとします。
結果、真実だと扱う思考が生まれます。この思考状態だと、例えば「明らかに胡散臭い投機案件にさらにお金を投じてしまう」のです。

一方、視点を変えましょう。
真偽の怪しい話であれ、「口にする」ということは真実だと主張するべく口にしています。でも、その真偽を全て見渡して正しく把握している人物が居ます。

他ならぬ自分自身です。

ですから、それが嘘であるなら、疑いを持たれる部分に特に敏感になります。自分が疑っているからです。ある意味、信憑性を高くするために、自分をも騙さなくてはなりません。
そして、さらに次の手を打つようになります。例えば相手の感想を利用したり、さらに嘘を吐いてという方法で。
この時に使いやすい方法こそ、「実は」という展開です。

ここで、以上の現象を上手く表せる例を挙げてみましょう。

交際相手から結婚を迫られました。
「実は、今事業ベンチャーで始めたばかりなんだ。でも、上手く行ってなくて…しばらく落ち着くまで待って欲しい」
相手が承諾しても、さらに時間が経過すれば不信感も募ります。
「実は、事業資金が上手く回ってなくて…今、結婚をしても君に迷惑をかけてしまう。」
相手の心配を測って、やがてタイミングが掴めたら、こんな感じです。
「すまない、もう夢だった会社を畳むしかない。…けど、君と結婚をしたい、なんとか事業を立ち直らせたい。必ず短期で返すから、金を貸して欲しい」
でも、そのうち結婚ではなくお金の話になっていきます。返却が遅れれば、結婚も遠のく上にそのために手配したお金もパーになります。
「なんとか立ち直りかけていたのに…実は、共同でやっていた仲間が金を持ち逃げしてしまって。納める商品の仕入れにして、売り上げから君に返済するつもりだったのに。」

…立派に(結婚)詐欺コースです。
(たまにはボダではない事例を挙げてみました。)

この時、相手は心底騙されていたのかというと、恐らく少なからずの人はそうではないでしょう。単に嘘という確証がないから、本当であった場合の保証となる行動を選んでいるのです。

「実は」は多用すると、まるで格闘物の物語でインフレのように敵の強さが上がるしかないように、どんどんとドラマティックな展開になります。

そして、嘘を吐かれた側はその展開の真偽も吟味できず、結果振り回されます。
「実は」として話される情報は確実に事前通告がなく、判断材料が不足するのでこうなるのです。

さらに、嘘を吐いた側も、スパイスとしてより騙すために、よりドラマティックな展開を用います。そして、その中には嘘と真実が紛れていることが普通です。

起業したのは本当。
上手く行ってないのも本当だけど、挽回する努力は実はしていない。
仲間が辞めた情報は本当。でも、持ち逃げするような金が会社にはないから、金の持ち逃げは嘘。

これを全て本当のことにしていると、ワインを水で薄めたように嘘の風味が薄まり、本人に嘘を吐いている感覚も、もしかしたら真偽すら不明になっていきます。
すると、本人は嘘に対して罪悪感がなくなり、悪気が消えて自然になります。(代わりに自己の言葉を信用できなくなりますが、それはまた別の話です。)

では、回避するには、相手の真偽を追求することでしょうか。
いえ、違います。実はあなたの中のアンテナの使い方で、ある程度回避はできるのでは、と私は思っています。

ひとつは、あまりにあなた自身が相手の話を保留し続けている場合。時間の長さ、保留の数など、「あまりに」は人それぞれです。そして、結果的にあなたに抑圧がかかったり、制限がかかったり、それが続いているなら、あなたは相手の言葉の吟味をするよりもまず、警戒をするべきです。

あなたが警戒をした態度を取ると、相手の行動も大きく変わります。
なぜなら、騙せていないことには敏感になっているからです。
その後は様々な展開になるでしょう。金を貸したなら逃げられるかもしれません。ボダなら、あなたをタゲにすることを辞めて攻撃的な面を見せるかもしれません。

でも、あなたの身体を(ココロを)守るためには、あなたはあなたの中で察知した違和感が味方だと思ってください。

実は、実は、実は。そんなものを繰り返すような展開は滅多にありません。
単になるべくしてなっています。もし仮にそれらが真実だとしても、事前に説明しなかったわけで、どのみちあなたには不誠実です。

もうひとつ。冒頭で挙げたトラウマの例です。ここでは、あなたは判断を保留にしてもいいですが、保留にしたことは自覚しましょう。そして、あなたの感じる以上に相手があなたに罪悪感を持たせようとしてくるのなら、それは危険です。
どうぞ、嘘だと断定しなくてもいいですし、次から気をつけるで済ませてください。それは当たり前です。あなたの知らないトラウマを理由にあなたを強い罪悪感に置く理由はない。それで収まらないなら、やはり危険です。

そして、実はが繰り返される、あなたに罪悪感が増したり、あなたをそれで蔑ろにする、そんな相手は必ずあなたを自分の支配下に起きたがるか、適当に取れる物を取って逃げるかのどちらかです。

苦しいかもしれませんが、真偽を明らかにするより、あなたが決断をするべき場面です。あなたは、あなたが蔑ろにされることを見逃してはいけません。あなたが、あなたを守るため動いてください。


これが嘘が膨らむことに関する私の考察です。

最後に。
嘘を吐く側は、その嘘が真実に混ざれば混ざるほど、あなたの中でのあなたの信憑性が低くなります。
あなたが自分自身を軽んじてしまう原因にもなるのです。
そこだけは、留意しておいてください。

では、次の記事で。

急に夏のような暑さです。
でも、まだ梅雨が来ていません。
皆さん、まだまだ寒暖の差がこれからも続きます。外の景色も変わります。

お身体を大切に。