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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

いくつかに分けたコメント返信(3)

今回もテンプレートはありません。この記事でコメント返信は一段落します。
あと、思いの外忙しく、さっと済ませるつもりが少し間が空いてしまいました。ご心配のコメントありがとうございます。

本題に入る前の軽い返信です。

くどいようですが、メールなどで直接ご連絡することは、一律お断りします。

約束でお悩みの方。
どうしたらよいか、私はまったくの部外者なのでお答えはしかねます。
ですが、私が同じ立場なら断ります。なぜならいつまでも引きずりたくないからです。そのことを理由にいつまでも交流を続けなくてはいけないという枷になるのも嫌なことです。相手の行動をうかがって自分の行動を決める必要もありません。

縁を切ろうとするたびに第三者がとりなしをしてくる方。
私あなたの書いたままを判断すると、私はその第三者は「実在しない」と思います。恐らくあなたもどこかではそう思っていませんか?その真偽を確かめたいと思うかもしれませんが、あなたはそれよりも少しでも早くボダと縁を切った方がいいと思います。
これは一般的なことかと思いますが、嘘をひとつついた時、その嘘がばれずに済む方法はおおまかにはふたつです。
ひとつは、嘘がどうでもよくなるまでそのことに触れず、沈黙を守ること。もうひとつは、隠すためにさらに嘘をつくこと。ボダはほとんど後者を選びます。嘘は重ねるとより大きく、より嘘臭くなっていきます。平たく言うならより劇的になります。そうして肥大したものが崩れる時は、決して穏やかな崩れ方はしないものです。それに巻き込まれると、あなたも大変な目に遭いかねません。どうぞ、一度今までのことを検討してください。あなたが見てきたもの全てを確実にご存知なのはあなたです。

メルアドを公開せざるを得ない方。
ほんの少しも相手にしてはいけません。次に相手にするのなら、第三者をしっかり入れて、直接対峙はしませんように。

ご自身に不安を感じられた方。
私では有意な返信はできませんが、自覚をなさったというのは、間違いなくとても大きな一歩です。
この一歩が、あなたのよい未来へ繋がりますように。幸せを願います。


さて、本題です。

ここからは、かなりぼんやりした返信になります。色んな方が、ご自身の経験や考え方に基づいてご意見をくださいました。ありがとうございます。

ボダからの被害は、とにかく何かと考えさせられてしまうものだと思います。
被害を受け続けている間はもちろん、その後も「なんで、なぜ、どうして」ということを考えてしまいがいです。

私は以前の記事にも書いたように、最初の記事は単発のつもりで書きました。たくさんのコメントをいただいたことで、さらに記事を更新しようかと思ったわけですが、自分が体験したことを書こうとは思いませんでした。
もちろん、私が体験した被害もまた、皆さんときっと同じく劇的で破壊的なものです。それはきっとボダの被害を多くの人に垣間見せるものにはなるでしょう。
ですが、私は自分の体験を書くよりも、体験を通して考えたことを書く方が、より「考えに終止符をつけるきっかけ」になるのではと考えました。

当たり前のことですが、ボダ被害はボダが居たから受けるものです。そしてここが肝心ですが、ボダ被害は実は不可解なものです。受けた方には実感できることと思いますが、どうして、なんでの連続です。
であれば、その被害について考える上で、ボダの中にある動機(或いは原因のような何か)を知る必要があるのだと思います。そしてそれが見えてくることで被害も回避できる可能性が高くなります。

これもくどいですが、私は専門家ではありません。私が考えたことは、かつて被害を受けた体験がもとになっています。何人ものボダに直面したわけではありませんので(何人も出会っていたら身体が保ちませんが)、偏っている可能性も高いです。
ですが、たった一度のボダ、私の場合は境界性パーソナリティー障害と診断された相手と、長い間対話をしてきました。
本もたくさん読み漁り、一緒に生き続ける道を模索し続けていました。(結果的には破綻してしまいましたが。)
その中から得た結論、その中から考えたものをここに書いています。

多くの本、多くのサイトでは、ボダと向き合い生きていく方法を説明しています。そのために必要な所作や考え方はおそらく正しく、長年蓄積されてきた叡智のひとつです。

ですが、私はそれらが功を奏するためにはひとつの大前提があると思います。
それは、何よりボダ本人が向き合うこと。それをしないボダの相手は、いくら頑張っても無駄の一言に尽きます。

風邪を引き衰弱してるのに、吹雪が吹き荒れる屋外にいる人に、風邪薬を用意しても毛布を用意しても無駄です。
本人が少しでも温かい場所へと避難して、治療する努力はしなくてはいけません。そうしようとしている人に手を差し伸べるのは、人として「やるべきことのひとつ」だと私は思います。でも、吹雪が吹き荒れる屋外で、あなたに吹雪の責任を求めたり、薬が効かないことを責める人になんの負い目を持つ必要があるのか。

この例えでひとつ問題なのは、ボダと風邪は違うということです。
これという盤石な方法や手法があるわけではない、治ったと解りやすく目に見えるしるしもない。明らかな正しい手法がないということは、間違いもまた見えにくい。特に、心の問題ですから。

ですから、私は視点を変えました。
ボダがどうであれ、被害を受けている人こそが、本人の意思を尊重しなくてはいけない。
救うために、自己犠牲が伴うのは時として美しいのかもしれませんが、そんなことがその辺にコロコロしててもらっても困るのです。
通常、人は己を守った上で、余裕があれば他人に手を尽くせばよい。それは、当たり前のことです。


さて、話が逸れました。
ボダの中の動機のようなものを推察するのはとても難しいです。なぜなら、ボダ自身が不安定だからです。
ですが、根本的なものはあります。そのひとつは、あなたに対して見せてくる感情が「実は動機ではない」ということです。

ボダは、あなたを責めます。ボダはあなたの行為や性格に対して、様々な方法で否定を突きつけてきます。でも、実のところそれは表面に現れた結果でしかありません。

あなたに罵倒をするのも、あなたに罪悪感を突きつけることも、それが目的ではありません。単なる手段です。目的は、あくまでもボダ自身が抱えている自分の中の不安定さを解消したいのです。
そして、その手法が共依存であり、理不尽な要求であり、実現するために虚言を吐いたり倫理を超える。これらは、通常の他者との関わり方と異なるために、被害者は戸惑い、心の力を費やします。
理解してくれない、理解できないのかと問われることもありがちなことですが、理解は難しいです。仮に理解できても、同意はできないでしょう。

そういえば、ご自身がアスペルガー症候群を患い、ボダ被害を受けているという方からコメントをいただきました。
私はアスペルガー症候群ではなさそうですが、アスペルガー症候群は、私の中では他者の感情の機微を察するという行為が「現代文の問題を解く」ようなものなのかな、というぼんやりした認識を持っています。
現代文の問題は限られた文章に回答となるものが示唆されていることがほとんどですが、現実はそうは行きません。また、現実では出来事に対して「完全に第三者」となることもできません。
そんな中、他者の感情を察することは基本的には難しいことなのに、さらにそれを知識と経験を意図的に駆使して賄うのは大変だろうとお察しします。

また、それを自覚しているあなたに対して、ボダな相手が「察することができないあなた」を強く責めたことも、容易に想像できます。
私はアスペルガー症候群ではなさそうですが、それでも察することができたのは、せいぜい相手の虚言だけです。その思考を察することは困難です。むしろ、そこにないものを察することはできないのだとすら、今は思っています。

どうぞ、どうしても周りに目を向けて力を使いがちかもしれませんが、ご自身を労ってください。人は「察すること」で社会で生きていく生き物ですが、暗黙のルールとして、自らを自らで保全することは、最優先事項だと思います。

そして、相手の根本が相手自身でしか触れないものである以上、そこから発生する現象(手段)をいくら察したところで、解決は見えてきません。
どうぞ、手段に振り回されることなく、被害者の方はまず「あなたが今どうしたいか」を冷静に考えて、実行してください。結果は必ずボダを怒らせますが、実行しなくても怒らせるので、同じです。

最後に。
その被害を受けず、被害者を通して被害を知る機会があった方は、被害やボダに憎しみを覚えてしまうかもしれませんが、その憎しみはどうぞ、捨てましょう。
そんなことより、目の前のあなたを大切にしてくれる人に時間を使うことの方が遥かに有意義です。
既に過去のものになってしまっているのならなおさらです。幽霊を相手にするようなものでしかありません。
くれぐれも、相手をなさいませんように。目の前の人は、根本的には思いやりがあるから被害を受けたのではありません。相手がボダだから被害を受けたのです。あなたが怒りを感じてしまうのなら、あなたでは絶対にボダと対峙はできません。どうぞ、目の前の人を大切に。

では、コメント返信一段落です。