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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

いくつかに分けたコメント返信(2)

コメント返信
今回もテンプレートはありません。

親子関係のご質問をされる方も、また多くいらっしゃいます。大雑把にまとめると、このような概要です。
・親(実親だけではなく)がボダっぽい方
・パートナーがボダっぽく、子どもを守らなくてはと考えてる方

ですので、今回はボダのような症状を見せる親とその子どもについて、私感を書いて返信をさせていただきます。

まずはそれぞれ、順を追って考えていきましょう。
他の記事にも記したように、ボダは自己の心の安定を得るために他者に依存し、かつ依存させようとします。
普通に考えれば、他者に何もかも頼られる状況はストレスですし、自己について他者が強烈な評価を下してくることもストレスです。ですから、ほとんどの場合、ボダのような行動を取られると相手は逃げ出します。
そこで、ボダは関係を維持するためにあらゆる努力を図ります。相手が立ち去りにくい関係を目指すのです。それは罪悪感を持たせることであり、深い交友関係を築くことであったりします。
ところが、親子関係にはそのような手間が要りません。当たり前ですが、子どもはスタート時から無条件に親に依存します。力関係などの上下も既に決まっています。
ボダにとって、これは大きなアドバンテージです。

次に。複数の子どもがいる場合、ボダは往々にして子どもへの対応に分け隔てをする(ように見える)ことがあります。
例えばひとりには、徹底的な理不尽をぶつけ、他の子どもにはむしろ溺愛と呼べる態度をとる。この配分は(より成長している)長子であるとか、ボダと同性であるとかの明快な理由はないように思えますが、子どもがいずれボダの行為のおかしさに気づき背く気配があれば、溺愛ではなくなります。
そして、私はこの「分け隔て」は、実は根本的にはボダの症状そのままだと思います。ボダにとって評価が落ちた後か、落ちていないかの違いです。

では、子ども自身に目を向けます。
タゲとなった子ども、ならなかった子ども、どちらもボダの支配下にあることに変わりはありません。子どもであれど、自分が何か地雷原に居ることは理解しますし、そして対応しようともします。
ただ、対応する手管があまりにも少ない。親の庇護なければ生きていく上で難しい事が多々起こると感じてしまうのは仕方のないことです。その厳しい制限の中でなんとか自己を保とうとすると、時に「解離(スプリット)」という症状を起こしてしまうこともあるようです。(私はこの言葉を、複数のコメントいただいた中から知りました。)

よくよく考えれば、子どもにとって「親の機嫌をみて、気に入られるようにすること」は、実は(特に幼い)子どもが生きていくための必須条件です。嫌われて育児を放棄されれば、文字通り致命傷に近いダメージです。だから溺愛には自分の意見を抑えて溺愛で応えそれを維持しようとしますし、理不尽には自分を極限まで抑圧しても耐えようとする。

成長した子どもが、自らが知らず知らずそのような状況に置かれていたという事実に気がついた時の気持ちは、私には到底推し量れません。立ち直るためにどれだけ苦しむか、どれほど長い時間を要するか。
いただいたコメントは一律公開しませんが、子どもの立場だとコメントくださった方々の文章はどれもそれを物語っています。どうか、この先は穏やかにいられることを願わずにはいられません。

そして、パートナーがボダの症状を見せている、つまり親御さんにあたる方々へ。
子どもは、溺愛されていてもそうでなくても、既に葛藤はしているのだと私は思います。平たく言うなら、子どもなりの(まっすぐではない)処世術が身についているのではないかと、私は思います。
大人でもありますよね。処世術。嫌な人にはあまり多く語らず疎遠にしようとか。「そんな処世術は捨てなさい、ただし、嫌な人は依然としてあなたのそばにいますが。」と言われたらどうしますか?自分に危険が及ぶのではないか、無理な事を言う、などと考えたりしませんか?

子どもも、それは同じです。

ですから、変わるべきなのは子どもではないのではないかな、というのが私の私感です。カウンセリングなどを利用しつつ、でも根本的に変えなくてはいけないのは環境です。環境を整える采配は、きっとあなたが一番とりやすいはずです。
ボダとのやりとりは、契約です。
ルールを決めて、あなたはそのキーパーにならなくてはいけません。ボダが守らないのであれば、あなたが判断を下して行動し、子どもが処世術をふるわなくてよい環境にしなくてはいけません。
どうぞ、あなたが今まで下した決断と同じく、あなたの判断を信じて、契約をして、その契約を守ることを続けてください。

あと、これは本当に私の私感ですが、「両親から守られてる安心感」、という言葉ですが、大事なのは「守られてる安心感」ですよね。
溺愛と守るは異なります。
すごく大雑把で乱暴な表現になりますが、「大量の札束を子どもに渡しておけば不自由なく育てていることになる」わけではないように、親というのは子どもが子どもらしく生きられる環境を整えるのが責務で、子どもの関心を買うために溺愛することが責務では決してありません。
それを相手が理解できないのなら、あなたがきちっとしてあげることも、ひとつの守る形です。それに必要となるものは、ボダとの契約でしょう。契約をしっかり履行してください。
「両親揃ってないと」という不利益めいた言葉に騙されてはいけません。それは、親の責務を果たす意思がまともであるという大前提があってこそです。


ちょっとぼんやりした内容になりました。あなたの思考の整理の助けになれれば、程度の回答です。

色々と難しい状況もおありでしたでしょうが、よくご決断なさいました。これから、まだ難しい局面もあることでしょう。どうぞ、あなたは自信をお持ちになって、良いものを目指してください。

あとひとつ、コメント返信します。