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ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

コメントへぼんやりではない返信

境界性人格障害
最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。読まずに他のサイトへ移動してください。

今回は、コメントにてご提案を主としたものをいただいたので、それについて返信をさせていただこうと思います。

ご提案の内容は、「コメントを設置したのなら、そして承認を経て公開すると表記したのなら、その内容が誹謗中傷でなければ公開されてはどうか。その方が、このブログの正当性につながるし、境界性パーソナリティー障害の方やその周りの関係者と、このブログを管理している私にとってより建設的になるのでは」というものです。

コメント主さんはご自身の様々な経験を経て、心理士になられた方だそうです。
(私について様々お気遣いをいただき、本当にありがとうございます。)

結論を言えば、そのご提案にはお応えすることができません。ご提案いただいたのに、期待に沿えずすみません。

では、経緯を追って説明します。

私がブログを開設した直接的な経緯は、知人からの相談でした。

私も相当大昔、ボダから被害を受けました。今は平穏な日常を送っています。

さて、その私に、割と久しぶりに会った知人が、なんとも言えない(敢えて言うなら、かなりな無表情または作ったような不自然な)表情で相談をしてきました。これはブログを開設するよりそれなりに前のことです。

省略しますが、色々な経緯を経て、知人は知人を追い込んでいた相手と絶縁、今は休養を経て日常生活に戻っています。

この知人と幾度となく話す過程を経た結果、私は書き捨てるくらいのつもりでブログを開設しました。
(今の知識であれば、書き捨てるんだからハテナの匿名ダイアリーでも良かったと思っています。当時はその存在を知りませんでした。)

書き捨てるつもりだったので、すっかりブログの事を忘れかけていた頃、突然お知らせメールがやってきました。

中を確認すると、コメントその他がたくさんになっていました。
ちなみにコメントが承認制なのは、ブログのデフォルトです。コメントがいただけるなんて考えてもいませんでしたから、受け付ける、受け付けないも全く検討していません。
いくつものコメントをいただいてから、私は承認をして公開するべきか、しないべきか、或いはコメント欄を閉じるかを初めて検討することにしました。

既にその時には、ご相談や反論、そしてお礼などをいただいていました。(誹謗中傷は、私の予想に反してひとつもありませんでした。…おそらく、こんな一方的なものの相手をする理由はないからでしょう。)

私は検討するにあたり、メリットとデメリットを比較してみることにしました。

メリットは、ご提案いただいた通りだと思います。いただいたコメントを公開すれば、実際に苦しんでいらっしゃる人たちが多々存在している証左になりますし、結果このブログは役に立つとか、或いは説得力や信ぴょう性も足されるかもしれません。(コメント公開をすることにより「境界性パーソナリティー障碍者や周囲の人、そして私にとってより建設的なブログになる」というメリットについては、私はそのような目的ではブログを作成していないので、メリットとは思いませんでした。むしろ、建設的である必要はなく、ボダは避けてよいと被害を受けながら気がつくことができない方々に気がついてもらえれば、私はそれ以上求めているものはありません。)

一方で、コメントのいくつかは、私に話しかけるように書いてくださる方もいます。
中には、微に入り細に入り、今の苦しみや悩み、不安を書いていただき、それこそ私の記事より長いのでは?と思うくらいのご相談もあります。
それらはきっと、私という「まったく部外者で第三者」だからこそ話せた部分もあるでしょう。
ですが公開してしまえば、知られるという事象に対してコントロールができなくなります。万が一、コメントをくださったご本人の思わぬ身近で、本人だと特定されるかもしれません。

異論反論こそは、公開すべきかなとむしろ一番悩みました。
ですが、今までにいただいたものは、全て「境界性パーソナリティー障害が治癒可能である」という立場からのご意見なのです。
以前にも書きましたが、それは私にとって(正しくはこのブログの主題にとって)どうでもよいこと、なのです。
つまり、私から見てですが、根本的に論点がずれています。ですから、公開することもなかろうと判断をしました。

このような徒然なる考えのもと、メリットとしてはブログを見栄えよくさせる程度のものでしかなく、一方で情報の制御不可な拡散や、ブログの目的からずれるなどのデメリットはとても重く感じました。
結果、私は一律承認をせず、公開をしないことにして、今日に至っています。
ですので、原則公開のご提案は今後も受け入れることはないと思います。
ご理解いただけると幸いです。


しかし、この記事で私は初めてぼんやりではない返信をすることにしました。
それは、反論でありながら、その切り口が「境界性パーソナリティー障害は治る」という立ち位置ではなかったからです。むしろ、反論というよりも私のことを慮ってくださった内容です。ありがとうございます。

コメントの中で、「この自己の中に抱えるこだわりの部分と、関わった挙句の結果について、目を背けたい気持ちから、境界性パーソナリティー障碍者を"病人"として整理させようとしている。」という一節には、とても考えさせられました。
(病人ではなく)病気という書き方をしていたと思いますが、私としては最大限ポジティブな単語を選んだつもりです。
個性、というなんでも片付く万能単語を使う気にはなれませんでしたし、性格、というもしかしたら治療不可能と受け取られる単語を書く気にもなりませんでした。
記事を書く時はもちろん緊張しています。普段は恐らく普通で、仮に私の周囲に人格障害を患った人がいた場合、私は静かに事が起こる前に遠ざかります。病人扱いどころか、人として見ていない、というのが正確かもしれません。
ですから、私がもし何かから目を背けているのだとすれば、それは自分の過去ではなく、「そんなボダでも、人である」という事実に対してだと思います。


なお、失礼ながら、コメント主の心理士さんの文章から、強く公開して欲しい気持ちがあるのか、公開されないことを前提に話をされているのかが判断できませんでした。
今後も基本的にいただいたコメントについては非公開で行こうと思いますが、ここまで言及した以上、問題がなければ心理士さんがくださったコメントを今回に限り公開承認したいと思っています。

しかしながら、私は今後、深く議論を重ねるつもりはありません。(もしも議論をしたいのであれば、ご自身でブログなどを開設するなどで、場所をご用意されるのが良いかと思います。)
この前提を是とした上で、なお公開を良しとしてくださるのであれば、お手数ですが、コメントにてご連絡をください。
(なお、公開されたとすれば、この記事のひとつ前の記事に公開されます。)