読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ

境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

境界性人格障害からやむなく逃げられない時はどうするか。

最初に、このブログは境界性人格障害、最近では境界性パーソナリティー障害、英語ではBorderline Personality Disorderと呼ばれることから略称としてBPD、転じて日本語でボーダーライン、或いは略してボダと呼ばれる病気の被害に遭われた、または遭われている方に向けて書いています。

境界性人格障害の人や、回復を目指している境界性人格障害の人、及びその回復を支える人にはなんら有用な情報はありません。むしろ有害である可能性もあります。読まずに他のサイトへ行ってください。

このように書くのは、単なるエクスキューズであると同時に、境界性人格障害の特徴のひとつである、被害者になりたがる思考を忌避しているためです。
このブログは特定の人物を名指しで非難する目的では書かれていません。つまり、あなたのことを私は何も知りませんし、わざわざ知らない人についての何かを挙げて書いたりもしません。ですから、ここを読んで自分が名指しされたかのような反応をしてしまいそうであれば、読むべきではありません。

ボダの被害に遭われている、或いは遭われた人は、時として思考の能力が一時的に低下します。平常ではとても受け入れ難い状況に耐えてしまった結果、判断力が鈍ったり、或いは判断ができなくなっています。
ですから、このブログは断定的な口調や、キツイ言葉を用います。刺激を強めにして、少しでも思考が動き出す結果に繋がればよいと思っています。


では、本題です。

このブログの最初の記事で、ボダに対しては被害者は「逃げる」ことが最善だと書きました。何を置いても逃げることは被害者の人生にとって最短かつ最善です。
しかしながら、現実的にはふたつの面から、「逃げる」ことを選べない場面も多いかと思います。

ひとつめは、社会的に困難である場合です。親がボダである場合、経済的に自立することが難しいこどもの立場であれば、逃げることは非常に困難です。そこまでのレベルではないにせよ、会社を退職する、などもこのご時世では難しいでしょう。夫婦でパートナーがボダの場合、こどもを抱えての離婚はこどものことを考えると大きな決断が必要です。

ふたつめは、ボダからの報復、或いはボダが執着してくる可能性を感じている場合です。報復は、例えば被害者の社会的な地位や立場、人間関係を嘘の流言で破壊してきたり、嘘の被害を警察に訴えたりなどが該当します。執着は、そのものズバリであればストーカーになったり、ボダこそが被害者であると周囲に誤認させて被害者を孤立させるなど、被害者が自分のそばを離れられなくする行為が該当します。

逃げることが不可能な場合はどうすればよいのでしょうか。あきらめる?祈る?いいえ、逃げるよりもより精神力は必要になりますが、手段がないわけではありません。

それは、断るということです。
生活圏を変えず、ボダと物理的な距離は離れないまま、拒否し、拒絶し、線を引くということです。

ここで、少し逸れますが、念のために明言します。
一緒に病気に向き合おうとする、は決して次善策ではありません。
それはあなたのような素人にできることではありません。誰かがサンドバックになっていればいつか解消されるストレスのようなものではありません。そして、あなたの対応ひとつが時には治療の障害にすらなる、そんな病気です。
何よりも、一緒に向きあうことは、あなたの一生を費やし、それでもなんら得られるものはない、そんな可能性のある選択です。最終手段で、やむなく選ぶ選択肢です。

本題に戻ります。

どのように断るのか?ひとことで言うなら、明快にラインを引くことです。具体的に話すために、被害として受けがちなものをあげます。

電話或いは対面、もしくは文字ベースのコミュニケーションに、延々とつきあわなくてはいけない、ということはありませんか?あなたの都合や事情を無視して、ボダの好きなだけ会話を強要されたりはしませんでしたか?頻繁に。
これを、断ります。相手がどれほど不快であることを表明しても、もうつきあえないとはっきり断ります。
この時、ぼかしてはいけません。今日は無理、ではなく、今後はもう無理なのでつきあわないと言います。期待を持たせるようなことはいけません。

もう死にたい、今手首を切ろうとしてる、首を括ろうとしてる、薬を大量に飲んだ、などと言われたことはありませんか?
これには、そのような事を言われても困る、自分の手には負えないので警察や消防に通報する、と言います。あなたが自分で動こうとしてはいけません。
そして、この時、勝手にすればいいとか死ねばいい、或いは早く死ねば、などと回答しては、絶対に、絶対に、いけません。何故なら、ボダの特徴のひとつである責任転嫁の条件を満たしてしまうからです。ボダはもともとあなたに罪悪感を与えようとしています。そのエサを与えてはいけません。そして、思い出してください。ボダは人の関心を得るためなら、倫理的なラインを簡単に越えます。それは、ボダ自身に対しても例外ではなく、関心を得るためならボダはうっかり死に至ってしまうことがあるのです。そうなると、あなたは本当に手詰まりになります。
そして同時に、引き留めようともしてはいけません。ボダにとっては、あなたの必死の説得は栄養だからです。満たされない心を満たそうとするエサに過ぎないからです。あなたが引き留めるほど、ボダは自分の命をおもちゃのように会話の駆け引きのテーブルに載せます。
あくまでもあなたは対処しない、毅然としていることが必要です。
考えてみてください。ビルの屋上から飛び降りようとしている人を、通行人が見つけたらどうするでしょう。助けに行きますか?先に通報しますよね。それと同じです。

過去の虐待経験や、暴行された、などのいわゆる不幸な話をされたことはありますか?或いは、現在進行形で進んでいる、不幸な話をされたことは?
気の毒には思うけど、自分には何もできないので、しかるべき相手や機関に相談するように、と答えましょう。
あなたにできることは、もともと何もありませんし、その真偽もそもそも不明です。捏造の可能性もあります。相談先を探してあげるなどの行為すら不要です。あなた同様、ボダも例外なく、自分を助けるために真っ先に動くべきなのは自分自身なのです。あなたに話したところで何の解決もしない、助けられることもない。明快に対応し、毅然と答えましょう。

あなたの必要性を必死に訴えてくる。あなたがいかに素晴らしい人で、あなたがいかにボダの支えになっているかを最上の賞賛を以って伝えてくることはありますか?受け流しましょう。褒められ賞賛され崇められる体験は心地よいものです。特に心が痛めつけられている状態ならば。しかし、すべてはボダの都合です。現在、ボダがあなたを都合よく感じているだけのことです。3分後には変わる可能性がある程度のものです。間に受けてはいけません。ボダの評価は不安定な会社の株価みたいなものです。

同様に、あなたの関心がなくなることを察したり、あなたの心が離れかけていることを察する時には特に、ボダは深い反省の言葉を述べ、謝罪し、泣き、あなたを引きとめようとします。ほだされたり、同情する必要はありません。
ボダはその瞬間、本気です。が、瞬間でしかなく、今後改まる望みはなく、単に今をやり過ごし、再びあなたがボダの餌食になるように必死になっているだけのことです。
ボダは本心であなたに謝りますが、あなたは必ずそれを無碍にしてボダを裏切ります。そしてあなたの責任で、ボダはそのことを痛切に批判し、あなたを罵倒するのです。これは規定の路線です。あなたの行動には関わりなく発生します。ですから、あなたは最初からあなたの都合に合わせて考え、ボダの相手をする必要はないのです。

浮気をされたり、あるいは類似する行為をされたり、突然別れ話をされたり、この辺りは異性で親密な場合ですが、そうではないなら、甘えているというにはあまりに無理な要求を強く求められたり、突如理由もなくコミュニティから阻害されようとしたり、連絡を絶たれたり、などをされたことはありますか?
大抵の場合、これらは「試し行為」と呼ばれる行動です。あなたがボダをどこまで許容するかを試しています。
しかし、あなたの定規で測ってください。あなたが我慢できないことであれば、不愉快だと伝えましょう。信頼を壊すものであれば、関係を解消することも臆さずに伝えましょう。
決して、これらを許容しなければボダに酷い目にあわされる、という基準で考えてはいけません。そもそも、許容してもしなくても、あなたは既に酷い目にあわされているし、不愉快なものは不愉快だと伝えるべきです。

このように、どうしても離れることができないのであれば、あなたは毅然とボダを受け入れない決断が必要で、それをボダに明快に伝える気力が必要です。
無視しなくてもよいですが、特別仲がよいわけでもない、顔見知り程度の扱いにします。顔見知り程度の人の相談事には乗らないですし、顔見知り程度の人を憎んだりもしませんよね?それと同じ対応です。
どのような絡まれ方をしても、毅然とし続けなくてはいけません。

憎んだりしない、と書きました。
これは、ボダにとっては好ましいことではありません。ボダが嫌うものは無関心です。憎んだり、憎んだ結果行動することは、即ちボダに関心があるということです。
ボダは、それがどのような形であれ、関心を得ることを望みます。好まれることはもちろん、憎まれることですら、関心のひとつです。憎まれるのであれば、被害者として振る舞うこともできるのです。

ですから、あなたは愛憎すべてをボダに向けることをやめなくてはいけません。
相当の精神力を必要としますが、少し目を向けてみてください。あなたの近くにいるボダの、その周辺にいる人たちに。その全ての人が、等しくボダの被害を受けているでしょうか。そうではないはずです。表面だけのつきあいに留まっている人もいるはずです。あなたは、その人たちと同じ振る舞いをするのです。

ボダ被害は、誰もが遭うものではありませんが、誰でも遭ってしまう可能性のあるものです。
もちろん、被害に遭いやすい性格と傾向はあると思います。ただ、あなたが遭いやすい性格をしていたからといっても、遭ってよい理由はかけらもありませんし、あなたに非があるわけではありません。
裏返して、ボダであることは様々な要因やボダ本人の気質にも起因しますが、ボダを患っている人自身の責任でもないのも、また事実です。
しかし、だからといって、あなたが犠牲になる必要はないのです。
あなたはあなたを大事にする権利があり、あなたにはボダを助ける義務も責任もありません。ボダは自身が本気で自身に向かい合わない限り、誰も助けられないのです。

どうしても離れられない場合は、ボダを憎まず受け入れず、しっかりと心の距離を置きましょう。そして、垣根を越えることを確実に拒否しましょう。
いかなる過程を経ても、いずれボダはあなたがボダを満たす気分にさせてくれないと理解する日が来ます。
理解の先には嵐があるとしても、毅然としていけばいずれはおさまります。

そして最後に。

ボダの被害を、我慢してはいけません。隠匿することもいけません。
信頼のおける人に、勇気を持って相談をしてください。話すことは現状を整理し、理解することにつながります。
ただし、その人がボダを説得しようとすることは避けるべきです。ボダには説得は効果がありません。専門家ですら治療には困難が伴う病です。素人が生半可に状況をなんとかしようと思ってはいけません。
そもそも、悪いことをしていない人には説得する理由がないのです。ホダは病気であり、自覚していないからこそ、あなたに被害を与えます。ボダに諭すという行為は、風邪を説得して治癒しようとするようなものです。そして同時に、説得しようとするような「関心」を示すと、二次被害を受けることすらあります。
決して近寄らないこと、これはボダの被害を受けないための鉄則なのです。